2012年4月18日水曜日

フィレンツェの香り


 
 
Ann Sallyの曲をひっぱりだして職場で聴いていたら
すごく気に入ってくれた人がいたのでCDを差し上げたところ
イタリアの旅のお土産のローズマリーの香りの石鹸をいただいちゃいました。


「あなたにぴったりだから」と言われてしまいましたが
ローズマリーの可憐な淡いブルーの花のイメージ、ということでしょうか 笑。


ローズマリーの学名は Rosmarinus officinalisです。
Rosmarinusは「海のしずく」という意味を持ち
「マリア様のバラ」と呼ばれることもあります。
officinalisには「薬用の」という意味があることより様々な効果が期待できます。


アロマテラピーを勉強し始めたころにはカンファーの成分が樟脳のような
強い香りを持つということから「たんすにゴン」の香りと覚えたことを
思いだしました。


わたしはプライベートではローズマリーの頭脳明晰化作用を利用して
勉強中に眠くなって集中力を欠けそうなときによく使用します。


仕事では血圧上昇作用を利用して低血圧で倦怠感の強いクライエントに
使用することもあります。
高血圧の方に使用するときは濃度に注意する必要があります。


またなんと言ってもローズマリーは若返りで有名なハンガリアンウォーターの
主成分として用いられていました。
収れん作用があるのでにきび肌にも有効です。



シェークスピアも好んだというローズマリーの花言葉には
「わたしを忘れないで」「記憶」「愛」などがあります。

 



2012年3月21日水曜日

spirituality







ショウコさんは普通にはコミュニケーションをとることができず
いつもどこかちぐはぐな会話になるのですがとても心の優しい女性です。


手浴中に満面の笑みを浮かべて「気持ちいいわ」と仰ってくださいますが
ハンドトリートメント中もずっとテンション高くお話をなさり
鎮静作用の精油を使用しても途中で傾眠なさったこともなく
セラピストとしていつも難しい課題を胸に抱いています。



数日前のこと。
ショウコさんとわたしはふたりきりでした。

いつものように散在したパズルをアトランダムに並べたように
わたしにお話くださっていたのですが
突然「いい人が現れるよ。自分をだいじにしていたらしあわせになれるよ」
と、完全なる言葉の集まりをわたしに投げかけてくれました。


あまりにびっくりしたのでショウコさんに話しかけると
もういつものショウコさんに戻っていて
パズルはバラバラになっていました。


このスピリチャリティな出来事をわたしは信じようと思います。
そういえば最近は自分をだいじにしていなかったなぁ。
自分をだいじにしなければ誰かをだいじにできないような気もします。


その夜すこしほろよい気分で帰宅したわたしに
とても嬉しい結果報告が届いていました。


ショウコさんの予言を励みに前向きに自分を大切に
日々を過ごそうと思ったのでした。(なんて単純...笑)






2012年2月25日土曜日

ターミナルケア

終末期を迎えたクライエントが亡くなったのは前述のブログを作成した翌朝でした。
ターミナルケアの一環としてハンドトリートメントを行ってほしいという要望があり
2月に入る頃に引き受けさせていただくこととなりました。


クライエントとコミュニケーションをとることはほぼ難しく
心のケアとしてはそのご家族のお話を傾聴して
トリートメントの間のひと時を日常から離れていただくという目的もありました。


ご家族がお話をする声がクライエントの心に届くことを願いながら
いろいろなお話を聞かせていただきました。


ベッドサイドにあったグランドキャニオンに佇む家族写真には
ふくよかなクライエントのお元気だった頃の姿があり
アメリカではお買い物はすべて日本語で通したというエピソードなどを聞き
ベッドに横たわる彼女の溌剌とした姿が想像できて微笑ましく思えました。


ターミナルケアではいわゆる最新の医学技術を用いた延命治療を行うのではなく
QOL(Quality of Life)を視点とした緩和医療を行うので
クライエントと関わる時間には限りがあります。


その限られた貴重な時間の一部をわたしのアロマテラピーに使っていただくのですから
一秒一秒を大切に使いと思いこれまで行ってきました。


クライエントのスピリチュアルペインを感じとって
ほんの少しでも心を解放して気持ちが楽になってもらえるように
迷いながらも取り組んでいくことが今のわたしにできる試みなのかもしれません。


そして本当はわたし自身の心を解放したいのかもしれません。












2012年2月21日火曜日

死生観


最愛の人を亡くした女性にアロマテラピーをさせていただきました。
昨日帰宅するとベッドで息絶えていたご主人の死について
彼女は淡々とした口調でわたしに話してくれました。


高次脳機能障害を持つ彼女には
まだ夫の死について伏せてあると聞いていたのですが
彼女はまだらながらも夫の死を感じとっていたのでしょう。


淡々とした口調の中から彼女の心の痛みが
ずっしりと伝わってきて
わたしはしばらく言葉を失ってしまいました。


大学で「死生学」という授業があって
仕事の関係で数年前に触れることがあったのですが
そのとき擬似的であれ「死」を感じることで
「生きる」という意味を考えるきっかけになりました。
けれどその意味をわたしはうまく表現できるに至っていません。


仕事を通して「生きること」「死ぬこと」について
考えることが多いのですが
死に逝く人との関わりの中で
いつもこれでよかったのだろうか
という気持ちを拭うことはできません。


昨夜から眠りにつけていない彼女に選んだ精油で
祈るようにトリートメントすること
そして彼女の声を傾聴することくらいしかできないけれど
明日も彼女の心をすこしでも温かくできたらいいなと
ただ想うばかりです。