2012年2月25日土曜日

ターミナルケア

終末期を迎えたクライエントが亡くなったのは前述のブログを作成した翌朝でした。
ターミナルケアの一環としてハンドトリートメントを行ってほしいという要望があり
2月に入る頃に引き受けさせていただくこととなりました。


クライエントとコミュニケーションをとることはほぼ難しく
心のケアとしてはそのご家族のお話を傾聴して
トリートメントの間のひと時を日常から離れていただくという目的もありました。


ご家族がお話をする声がクライエントの心に届くことを願いながら
いろいろなお話を聞かせていただきました。


ベッドサイドにあったグランドキャニオンに佇む家族写真には
ふくよかなクライエントのお元気だった頃の姿があり
アメリカではお買い物はすべて日本語で通したというエピソードなどを聞き
ベッドに横たわる彼女の溌剌とした姿が想像できて微笑ましく思えました。


ターミナルケアではいわゆる最新の医学技術を用いた延命治療を行うのではなく
QOL(Quality of Life)を視点とした緩和医療を行うので
クライエントと関わる時間には限りがあります。


その限られた貴重な時間の一部をわたしのアロマテラピーに使っていただくのですから
一秒一秒を大切に使いと思いこれまで行ってきました。


クライエントのスピリチュアルペインを感じとって
ほんの少しでも心を解放して気持ちが楽になってもらえるように
迷いながらも取り組んでいくことが今のわたしにできる試みなのかもしれません。


そして本当はわたし自身の心を解放したいのかもしれません。












2012年2月21日火曜日

死生観


最愛の人を亡くした女性にアロマテラピーをさせていただきました。
昨日帰宅するとベッドで息絶えていたご主人の死について
彼女は淡々とした口調でわたしに話してくれました。


高次脳機能障害を持つ彼女には
まだ夫の死について伏せてあると聞いていたのですが
彼女はまだらながらも夫の死を感じとっていたのでしょう。


淡々とした口調の中から彼女の心の痛みが
ずっしりと伝わってきて
わたしはしばらく言葉を失ってしまいました。


大学で「死生学」という授業があって
仕事の関係で数年前に触れることがあったのですが
そのとき擬似的であれ「死」を感じることで
「生きる」という意味を考えるきっかけになりました。
けれどその意味をわたしはうまく表現できるに至っていません。


仕事を通して「生きること」「死ぬこと」について
考えることが多いのですが
死に逝く人との関わりの中で
いつもこれでよかったのだろうか
という気持ちを拭うことはできません。


昨夜から眠りにつけていない彼女に選んだ精油で
祈るようにトリートメントすること
そして彼女の声を傾聴することくらいしかできないけれど
明日も彼女の心をすこしでも温かくできたらいいなと
ただ想うばかりです。